●「みんなが頑張っているから」「あいつには負けない」
― 結構、「外的動機づけ」はある ―
さらに具体例をあげれば、実用的志向タイプ:建築家になりたいので工学部の建築学科を志望。先輩や卒業した建築家から自分の開いている数学の本を見て、「ここなんか一生使うんだぜ」と言われる。どうせここの勉強なんか役に立たないと思っていたら、実用的な部分があるというだけで、頑張る気になる。
関係志向タイプ:情けない理由だけど、東大などに来るような優秀な学生さんでも、なんで勉強を始めたかというと、とうとう八月になりみんなが始めたからだ、という輩もいる。そんなしょうもない理由でも、みんなが頑張ってたから頑張る、というのが伝染していく。
自尊志向タイプ:好きなサッカーでライバルと競っていたら、二人ともうまくなってツートップになってしまった。
勉強でもあいつだけには負けたくないと思って一生懸命英語をやっていたら、代わる代わる一番をとるようになった。
これも全部外発的である。
● 外発的動機づけも、ありがたく受け止める
大学生の生の声を聞く機会があるたびに、わたしも同じことをよくいう。大学生になった人が「高校のときに一生懸命勉強した」というが、「数ヶ月ではないですか」。数ヶ月頑張った人が、どう勉強で頑張ったか、生で語れるのだから、大人は仕事の世界で3年、5年、10年、目標にむかって頑張るとか、ピリピリした緊張感をもたねばいけない。
でもピリピリしているだけではいけない。希望がいる。「周りが始めたから、始めた」という理由も情けないと捉えずに、この会社のこのチームに配属されたのだから、なんとか難しい課題を皆でやりとげよう、という緊張感と希望が伝染し、頑張るのも結構だし、正しい、と。