● アメリカの個人主義と自由の裏にあるもの
もともとアメリカの個人主義と自由とは何なのか? この二つの価値観は、平等、選択、個人の責任、献身の四つを象徴するコンセプトである、と私は考えている。
伝統的な価値観としての「平等」は、親切に思いやりをもって誠心誠意、他人を扱い、自分も他人から同じような扱いを受けることであった。『聖書』に「己の欲するところ人に施せ」という黄金律があるが、この教えの通りに「自分が他人から親切な思いやりを期待するならば、他人に対して同じような親切さや思いやりをもって尽くせ」であった。ところが、現代の若者は、他人への影響など考えずに、自分のしたい放題をやるための言い訳にしてしまっている。
「選択」も個人主義と自由のもうひとつの柱であった。選択とは、自分にとって最もふさわしいと思われるものを自分自身のために自由に選んでよい、ということだ。しかし選択は、真空状態のなかで行うわけにはいかない。平等の価値観と家族・他人・グループに対する献身が連動しているから、自分のニーズと他人のニーズとの間のバランスをとって行わなければならない。自分のやりたい放題にやってよい、という意味ではない。
● 日米の「意思決定」の違い
日米のビジネス文化で、最も大きな違いは「意思決定」だとよくいわれる。
日本では、「根回し」というコンセンサスをとった上で意思決定が行われる。つまり、できるだけ多くの担当者やグループの意見を求めて同意に達した後に、意思決定が行われる。
いっぽう、アメリカにおける意思決定は、独裁的なイメージにとられている。上位の一人または少数の人々によって決定され、その結果が下位の人々に伝えられる、というわけである。このように、意思決定に関する日米のステレオタイプの見方では、プロセスが二分化してしまっている。
この類推からかもしれないが、アメリカ人個人が意思決定する場合も、この方式になっていると誤解されている向きがある。
実際には、アメリカ人が日常の意思決定をする場合には、友人、愛する人々、尊敬する権威ある人物に忠告や相談をもちかけている。他人の意見を聞かないで、自分の思い通りに意思決定を行うことは少ない。
