●「献身」、そして今日までの経緯


 さらに、アメリカの個人主義は、家庭、教会、コミュニティという三つのグループへの「献身」が特徴になっていた。一緒に働き、一緒に遊び、この三つのグループの人々に対して心からの気遣いをしていた。家庭、教会、コミュニティこそ人々の尊敬する対象のまさにシンボルであった。
 こうした柱が、アメリカ合衆国という偉大な国をつくり上げてきた、と私は考えている。
 では、このような価値観を今日のアメリカ人はもっているのだろうか? たしかに過去と比較すれば、後退してしまっている。これは過去一世紀にわたる合衆国における社会学的な文化の比較研究によっても明らかである。
 1960年代、70年代、80年代のあまりの豊穣さのために、物資・コマーシャリズム一点張りの社会に陥った。そしてこうした価値観も、利己主義、貪欲さ、物質主義に置き換えられてしまった。さらに本来の個人主義・自由の概念を怠慢、利己中心、他人への無配慮などの口実に使いはじめてしまったのだ。
 1970年代と80年代は、文化的にも社会的にもアメリカ合衆国のまさに危機の時代であった。というのも、モラルと倫理の点で合衆国はどん底に達し、個人の行為を律するものが法律訴訟になり、それが個人のモラルを決定づけてしまったからだ。こうしてかつてのモラルは、アメリカ人が生活の主導原理としてきた倫理の中核部分ではなくなってしまった。モラルとは、他人からとがめ立てされずに、どのくらい逃げ通せるのかになってしまったのである。