陶泉 「御所坊」は、1191年仁西上人が有馬温泉の復興に尽力し、「坊」のつく温泉宿をつくったとき創業した、旅館のひとつとされている。現在、さまざまな分野に展開している「御所坊」」グループのルーツである。

 「御所坊」は、昭和初期から古き良き木造3階建ての建物を維持。谷崎潤一郎や吉川英治などに愛され、谷崎の「ネコと庄造と二人のをんな」には、「御所坊の二階で…」という1節も出てくる。

 15代金井四郎兵衛社長は、若い時代から、有馬というコミュニティの活性化にリーダーシップを発揮してきた。

 1987年、「無方庵 綿貫宏介氏」の指導のもとに、「御所坊」旅館を大規模に改装・改築。前後して、本業の旅館、ホテルのほかに、洋菓子店、喫茶店、ギャラリー、コンドミニアム旅館、玩具博物館、オーベルジュなどなど、多彩なグループ事業を展開されている。

 外国文化の良さを取り入れるだけでなく、東洋と西洋、伝統と斬新さ、利便性と自然など、相反する独特の空間をつくり上げてきた。

 企業経営と地域活性化を軸に、神戸大学の金井壽宏教授にインタビューいただいた。なお、お二人の苗字は同じだが、親戚関係はない。

 


● 若い頃の夢

■ 金井教授 私は神戸生まれなので、子供のころから祖父母や両親によく有馬に連れてきてもらっていました。いまでも年に何回かは泊まりに来ていますので、たいそう親しみのある温泉です。
 いまの有馬温泉には、ひとつの流れとして旅館の大型化があります。そのなかで、「御所坊」は、こぢんまりした良さを生かしながら、ギャラリーを開いたり、洋菓子と喫茶店を設けたりして、この有馬の町に、徐々に若い人たちが来るようにと、リーダーシップをとってこられました。
 金井さんは、若くして社長に就任されて以来、さまざまな事業を展開されてきたわけですが、若いころはどんな夢を抱かれていたのですか。そこのところから、お聞かせいただけませんか。
■ 金井社長 私は1955年生まれです。大学に進むころは、画家を目指していました。関西で絵を学ぼうとすると、京都芸大しかありませんでした。
 実は、子供心に自分より絵の上手い人はいないと思っていましたが、ただ一人、自分より上手いと思ったのが従兄弟で、悔しいけどかなわないと思いました。
 この二つ年上の従兄弟が、京都芸大に二浪して入ったのです。私は、従兄弟さえ二浪するのだからと、あきらめました。後日、従兄弟に聞くと、受検にはデッサンが必要で、それをやり直すのに2年かかったということでした。
 従兄弟は、京都芸大を出て、開高健に憧れてサントリーに入って、デザイナーとして活躍するのですが、私は絵の道には進みませんでした。
 とはいえ、フランスには憧れがありました。父も酔うとフランス国歌をアカペラで歌いましたが、その血を引いているのかもしれません。
 それで、絵でなければ、料理の道でフランスに行こう、と考えたのです。その機会が巡ってきて、「ホテル・ニッコー・ド・パリ」のオープンの最初のスタッフの一人に採用されました。
 ところが、ミッテランが大統領に当選した時期に重なり、労働ビザが下りず、行けなくなってしまったのです。